いつも 音楽といっしょ!
2014年もいよいよ・・・
今年もあ!という間に、もう数日で終わります。私が母、妹たちと共に組んでいるファミローザ・ハーモニーは、今年で結成20周年、そして16回目になる高輪プリンスホテルでのクリスマスコンサートも無事に終えることが出来ました。1年ごとに、一音にこめる想いが色濃くなっていっているように感じています。年齢を重ねているということもあると思うし、その時間が一期一会で、かけがえのない時間であることを身にしみて感じているからということもあるかもしれません。
そして、今年は祖母が母に残してくれた沢山の着物の中から、それぞれが好きなものを選びドレスにリメイクした衣装を着ることが出来ました!特に、私のドレスは真ん中に帯を入れたという、アイデアとしても世界でひとつといえるようなドレスに仕上がって、もう大満足です。夏と秋の一重の着物の生地だったので柔らかく、着心地もとても良いのです。妹たちは裏地も凝った着物だったので、リバーシブルで着れるように直しました。大好評でしたので、写真を載せます!(写真左:左から三女の富美子、次女の優美子、母、私です)
今年もあらためて音楽、芸術の素晴らしさと大切さを感じることの出来た1年でした。そして、それを感じられることへの感謝の気持ちでいっぱいです。このホームページを通じて、あらたに出逢えた生徒さんたちもいます。本当に嬉しい!来年も人、もの、出来事、たくさんの素敵な出会いのある年になりますように・・・。
芸術の秋
10月ブログを書けずに過ぎてしまいました〜。
10月〜11月は芸術の秋!という感じで、色々な場所で色々な芸術的イベントが行われている時期ですよね。
私の母校・・・そして今、長男の通っている地元の中学校は、私が通っていた頃、合唱部が最盛期でNHK合唱コンクール決勝にも、出場していました。私も伴奏者としてNHKホールのステージに立ちました。私は入学した時、バスケットボール部に入りたくて入部希望を出したのに、担任の先生と音楽の先生にピアノを弾いてることが分かられてしまい、合唱部に入れられてしまいました。でも結果的には良かったと思っています。皆で一丸となって何かを作り上げるって、本当に素晴らしい体験。それを音楽を通して体感できたことは大きかったです。長男も途中入部で吹奏楽部に入部し、それを体感している最中のようです。そのせいか、私はいまだに団体で頑張っているものに弱い!例えばEXILEとか(笑)。皆で揃って踊っている姿を見てると無条件に泣けちゃいます。
話がそれてしまいましたが、その母校の今の校長先生が音楽の先生だった方ということもあり、去年から浅草公会堂を借り切り、一日がかりで合唱コンクールを含めた音楽祭を行うという形になりました。
吹奏楽部が演奏したり、近隣に芸大があるということで芸大の学生が、合唱や吹奏楽部の指導に来てくれているので、その芸大生による演奏コーナーがあったり、保護者と先生方による演奏があったり・・・聞き応えのある音楽祭です。
中でも、全校生徒、全教員と芸大の皆さんが一同、ステージに上がって吹奏楽部の伴奏で歌う「翼をください」は圧巻で、なんだか聞いてる客席が歌声に包まれるような感覚になり、思わず涙が・・・。
長男はクラス対抗の合唱のパートリーダーになっていて、練習状況を聞いていると“みんな、なかなか歌ってくれないんだよ〜”と、こぼしており、確かにそういうお年頃なんだろうなあと思っていたのですが、本番ではきちんと歌っていて、なかなかのもの。本番近くなった頃に芸大生がレッスンに来てくださり、二言三言いったとたん、声を出すようになったとのこと。
ありますよね〜。同じことを親に言われても聞いてるんだか、聞いてないんだか・・・ってことを外で言われてきて“こんなこと言われた〜”って目を輝かせて言うので聞いてみたら“それ、前に私が言ってたことじゃない!”ってことだったりすること。ま、いいんですけど。結果的に骨身にしみてくれたのなら!
私も保護者と先生方の合唱で、浅草公会堂のステージに立ちました。仕事柄、たくさんのステージに立ってきましたが、浅草公会堂は何だか気持ちよかったです。なんだろう・・・照明の感じ、ステージから客席を見渡した感じ、立った感じ・・・なんだか、とっても気持ちよかったのです。さっすが大衆芸能の町、浅草にある公会堂!と感じ入ってしまいました。来年も楽しみです!
ライブ
末っ子の恵音は近所の合唱団に入っています。
その合唱団は、私と妹二人がお世話になった幼稚園にあり、当時の幼稚園の園長先生は声楽家、そして芸大の声楽の先生でもありました。おまけに住職で私の父の同級生。今は引退なさっています。
そんなこともあり、合唱団ではその先生のお弟子さんであり、プロの声楽家である方たちが指導に当たられています。
歌うことは、精神的にも身体的にも、とても良いことだと思って末っ子に薦めました。それに語り継がれていって欲しいと思っている童謡唱歌って今、幼稚園でも学校でも、あまり歌わなくなってしまいました。その合唱団では、そういう歌も大事にしていると知って、ますます良いなと思いました。末っ子が入団して、1年が経ちました。
ついこの間、1年に1度の合唱団の発表会へ行ってきました。
演奏後に、指導してくださっている先生が「絵は形に残すことが出来るけれど、音楽は消えてしまう。今日のこの時間に、このメンバーで歌を歌うというのは、たった一度のこと」とおっしゃっていました。
まさに、ライブ!だなあと思いました。
liveという単語は「住む」「生きる」という意味で使う、もしくはライブに行く・・・音楽を聴きに行くというような意味で使いますよね。
気になって調べてみたところ、他にも「人生を楽しむ」「おもしろく暮らす」「生き生きしている」なんていう意味もありました。演奏、放送などに使う場合は「録音(録画)ではなく生の・・・」という意味で、よくコンサートとライブは何が違うのか?というようなことが聞かれますが、これはライブコンサートが短くライブという呼び名になったとも言えるし、コンサートはあらたまった雰囲気、ライブはカジュアルな雰囲気・・・と言われたりもするし。
放ったとたんに消えて行く音。その一つ一つの音で美しいメロディが生まれ、また消えて行く・・・。
音楽だけではありませんよね。すべてにおいて、その瞬間、そこに共にいる人、思い、言葉・・・その一瞬一瞬の巡り合わせで人生は作られているんだなあと、あらためて感じます。
坐禅
私のお寺では月1回、坐禅会をしています。坐禅は宗派によって、作法や捉え方などが違うとのことですが、私のお寺は臨済宗なので『無』になることをテーマに坐禅をします。
・・・なんて、書くのは簡単ですが『無』になるって、そんなに簡単なことではありませんよね〜。だからこそ坐禅するってわけです。
私はもちろん、無我の境地になんてなれません!(笑)最初の数回は努力してみましたが、たった一度だけ目の前の畳と同化したような不思議な気持ちになりました。
あ!これ?・・・な〜んて意識してしまったら、もうその時点で『無』じゃなくなってしまうわけで。
なので、その後は、ピアノの演奏で『無』になることを目指しているのだから、坐禅の方は無になれない時には妄想、想像タイムにしようと勝手に決めてしまっています。
でも、それでも、しないとするとでは雲泥の差があります。
去年、2月の演奏会までの間、月1度、坐禅をすることによって、もうひとりの自分が自分を観察してる、みたいな感覚になりました。
譜読みをして暗譜をしようと思ってる時期には、どうしても頭でっかちと言うか、頭で捉えようとしてしまいがち、でも、それもあしょうがない → もう本番までわずかだから、音楽を身体に沁み込ませて行こう・・・など、自分が時期に応じて変化して行く様子を観察しているような感じでした。
そういうことができると、変にあせったりしないで済むような気がします。どーんと構えていられるような気持ちになります。
そんな訳で私にとって、この月に一度の坐禅は大事な時間となりました。
・・・なんて、分かったようなこと書いてしまっていますが、睡魔に襲われることも多々あり、夫にパーン!と警策で(木の棒です)叩かれます。でも、これがまた妙に気持ちいいのです。しょっちゅう、叩いて欲しいと思っちゃうくらいなのですが、それも甘えかなと思い我慢しています。(笑)
2014年 発表会
今年も無事、楽しく発表会を終える事が出来ました。いらしてくださった皆様、暑い中ほんとうに有り難うございました!
自分の子供たちのことは当然の事ながら側で見ていて、発表会までの道のりと言うのが分かるので、内輪話にはなりますが皆さんの参考にもなればと思って書きますね。
今回、小学3年生の末っ子は初めて12分近くある6曲でひとつの組曲になっている、彼にしては、なかなかハードルの高い曲にチャレンジしました。それも、先生である私の母が弾いて聴かせてくれて「大変だと思うけど、どう?」と提案した所、面白い曲なのでやってみる!という彼の意見も尊重して。とは言っても、小3らしく遊び盛りだし、練習し始めて大変さを感じたに違いないと思います。発表会で弾く!と決めてから、本番までの期間の前半は子供らしく練習もそこそこって感じいて・・・子供は記憶力も良いので、何度も練習しているうちに、いつのまにか覚えてしまったっていうことが多いと思います。でも本番で弾くという場合、その、いつの間にかっていう記憶をもっと深いものにするために時間をかければ、本当に素晴らしい音楽になるに違いないのですが・・・本番の時にいちばん良い状態で持って行くっていうことは、子供にとっても大人にとっても課題なんですよね〜。弾かなさすぎても、弾き過ぎちゃっても上手くいかない。
そして末っ子は、曲の数も多いため、たぶん初めて、いつの間にかじゃあ暗譜できない!という体験に遭遇したと思うんです。本番までの後半戦、彼なりに暗譜するための努力をしたと思います。もちろん、本番でミスもたくさんしたけれど、それよりも音楽の流れを止めずに最後まで行けた事、そして何より私がいつも願っている、途中でどんなに失敗しても投げやりにならずに聴き続けて弾くということをできたということに彼の成長を感じました。長男も同じです。
そして何より、高校3年生の長女は、試行錯誤をしながらも自分に何が足りないのか、もっとどうするべきなのかを明確に捉えるようになっていて、それを克服するために何をすべきかも分かっていて、今回の演奏では、それが良い形で出た、なかなかのシューマンのソナタなのでした。思い描いている事と実際に表現する音楽とを一致させるって言うのは、やっぱり大変なことだし努力も必要。でも、その努力をすることのできるようになった長女に頼もしさを感じました。そして、そんな長女とできた連弾も楽しかった!
私たち親子は普段、ものすごくサバサバしていて、もしかするとお年頃の長女からしたら、言葉少ない私に不満も持ってるかもしれないのですが、今回、一緒に音楽を楽しんで、言葉を越えた絆みたいなものをお互い感じれたみたいで、私としては、ああ間違っていなかった!っていうか、このままの関係でいいんだなって再確認することのできた、とっても貴重な体験でした。
音楽を通して共に成長していけるって本当に嬉しい。そして、それは周りの支えあってこそ、です。長女も今回、演奏する時に自然と感謝という気持ちが湧いてきて、それを表現せずにいられなかったって言ってたけれど、まさにその通り。音楽は感謝です。それと、愛と祈りです。(・・・って私たちのCDのタイトルなんですが。笑)