坐禅

2014-09-03

 私のお寺では月1回、坐禅会をしています。坐禅は宗派によって、作法や捉え方などが違うとのことですが、私のお寺は臨済宗なので『無』になることをテーマに坐禅をします。

・・・なんて、書くのは簡単ですが『無』になるって、そんなに簡単なことではありませんよね〜。だからこそ坐禅するってわけです。

私はもちろん、無我の境地になんてなれません!(笑)最初の数回は努力してみましたが、たった一度だけ目の前の畳と同化したような不思議な気持ちになりました。
あ!これ?・・・な〜んて意識してしまったら、もうその時点で『無』じゃなくなってしまうわけで。

なので、その後は、ピアノの演奏で『無』になることを目指しているのだから、坐禅の方は無になれない時には妄想、想像タイムにしようと勝手に決めてしまっています。

でも、それでも、しないとするとでは雲泥の差があります。
去年、2月の演奏会までの間、月1度、坐禅をすることによって、もうひとりの自分が自分を観察してる、みたいな感覚になりました。

譜読みをして暗譜をしようと思ってる時期には、どうしても頭でっかちと言うか、頭で捉えようとしてしまいがち、でも、それもあしょうがない → もう本番までわずかだから、音楽を身体に沁み込ませて行こう・・・など、自分が時期に応じて変化して行く様子を観察しているような感じでした。

そういうことができると、変にあせったりしないで済むような気がします。どーんと構えていられるような気持ちになります。

そんな訳で私にとって、この月に一度の坐禅は大事な時間となりました。
・・・なんて、分かったようなこと書いてしまっていますが、睡魔に襲われることも多々あり、夫にパーン!と警策で(木の棒です)叩かれます。でも、これがまた妙に気持ちいいのです。しょっちゅう、叩いて欲しいと思っちゃうくらいなのですが、それも甘えかなと思い我慢しています。(笑)

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